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あとがき
三村 將
pp.950
発行日 2022年7月1日
Published Date 2022/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416202156
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私は今日の昼過ぎにベルギー・ドイツの駆け足出張から帰国して,いまこのあとがきを書いている。今回の出張は国際学会ではなくて,ルーヴェン大学,ケルン大学との共同研究の打ち合わせ会議だった。コロナ禍の時代に何も好き好んで海外に出かける必要はないではないか,ウェブ会議で十分用が足りるのではないかという意見もあろう。私自身そのことに反論するつもりはないし,リモートなら時間も費用も大きく節約できるのも事実である。しかし,その一方で,直に顔を合わせて対面することでしか得られない,感じ取れないものがあることも今回改めて実感した。
五木寛之氏の『大河の一滴』(幻冬舎)というエッセイの中に「面授」という言葉が出てくる。もともとは師と弟子がまのあたりに相対して,親しく仏法を授受するという仏教用語のようだ。人と人との対話においては,言葉そのものの力と,言葉ではない話し方,表情,身振り手振りなど,さまざまな要素が重要である。非言語的コミュニケーションということになるが,多くの教師が対面授業(最初と最後をはずすと「面授」になる)にこだわるのもそのあたりに理由があろう。最近はコロナ禍の影響で気がつくと朝から晩までウェブ会議をやっている日もあるが,何か印象が薄い気もする。これからのポストコロナの時代には,対面とリモートとを場面に応じてうまく使い分けていくことが重要だろう。
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