看護学雑誌 56巻6号 (1992年6月)

特集 障害と看護

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街に慣れる,街が慣れる

 1981年の国際障害者年のあと,国連は長期行動計画の実現をめざして,1983年から1992年までを「国連・障害者の10年」と位置づけたが,今年がその最終年となった.この間に,障害者に対する社会の目が大きく変わったことは事実であろう.

 街で車いすの障害者を見ることも,それほど珍しいことではなくなった.障害者が街に出るようになったから社会の眼が変わったのか,社会の眼が変わったから障害者が街に出るようになったのか.タマゴが先かニワトリが先かではないが,おそらくはその相乗作用が働いたのであろう.

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誰が障害者なのか

 広瀬洋子氏(放送教育開発センター)は,その研究論文1)の中で,「“handicapped”とは個人の身体的な障害と社会や物理的環境の間におきる相互関係の結果である」2)(下線筆者)という考え方を紹介している.

 この解釈によれば,車いすを使っている人は,1人で階段を上る時は障害者になるが,エレベータがそばにあれば決して障害者にならない.しかし,もしそのエレベータの操作盤が高いところについていれば,その環境は,やはりその人を障害者にしてしまう.

ともに生き続ける喜びを 瀬谷 美子
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はじめに

 WHO(世界保健機関)において検討され,国際障害者年行動計画(1981年)に掲げられた障害の概念は以下の通りです.

①心身の形態または機能が何らかの形で損なわれている状態を意味する「機能障害(impairment)」②その結果として生ずる活動能力の制限または欠如である「能力障害(disability)」③能力障害のためにこうむる「社会的不利(handi-cap)」

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ちょっと食べたい

 さっきテレビで,インスタントラーメンのCMをやっていた.あぁ,インスタントラーメンが食べたいな,と思う.どうしても食べたいってわけじゃないんだけど,ちょっと作って,ちょっと食べたいのだ.

 この『ちょっと……』というのが,いい.夜,たまった手紙を書いてる時に,ちょっと思い立ってちょっと台所に行って,ちょちょっと作って,冷蔵庫の中の瓶詰のメンマをちょっとのせて,テレビを見ながらちょっと食べたい.

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障害児(者)看護の抱える問題

瀬谷 今年は国際障害者年の10年の最後の年,「完全参加と平等」というのは私にとっても非常に大きな課題でした.

 障害を持つ子供,障害を持つ人がいかにより良い生き方ができるのかについて,施設や病院で働く皆さんと私の思いのたけをぶつけ合いながら考えていきたいと思います.

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はじめに

 従来,「人の死」の考え方は,心臓死が認められており,それは呼吸停止,心停止,瞳孔散大および対光反射消失の3徴候が通説とされていた1).しかし,医学の進歩と高度医療の発達により,心肺機能停止の時点を特定することが困難となり,脳死の判定基準をめぐっての議論や尊厳死,安楽死などさまざまな状況における人の生と死が社会的問題になってきた.

 その中で,安楽死について阿南は,「人命が尊厳であるなら,死期の迫った患者を死ぬまで苦しませておくことは,かえって非人道的である.むしろそのような限界状況にある場合は,死期を早めて楽にしてやる方が人道的だとさえ考えられる」2)と述べている.

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 春の日差しを受けて光る川面に,はしけが波をたてていく…….

 リハビリテーションの専門病院というと,つい郊外の温泉地を連想してしまうが,ここ東京都リハビリテーション病院は,下町の情緒あふれる隅田川のほとりにある.

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 鹿児島市で民間初の総合病院としての認可を受けた鹿児島生協病院(瀬戸山浩病院長,226床)看護部では,昨年から申し送りをベッドサイドで行なうウォーキングカンファレンスを取り入れている.

 申し送りを簡略化あるいは廃止する方向が各病院で取り組まれ,学会などでもその成果が発表されるようになってきた.

連載 生体のメカニズム・6[細胞の生理・2]

老化と細胞 大橋 俊夫
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細胞の老化と酸素

 寿命の話をする前に,細胞の老化について説明しましょう.

 私たちの体は約60兆個の細胞からできています.この数が年齢とともに減少したり,細胞の働きが低下し,その細胞で構成する臓器の機能が落ちてしまった状態を老化と言います.

連載 延べ1423人で支えた神経ベーチェット患者[3年9か月の在宅ケア]・3

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 Aさんの3年9か月の在宅療養経過では,発熱,気道感染,尿路感染,褥瘡に感染課題があり,感染予防の取り組みが必要であった.さらにMRSA感染の問題も生じ,これらの課題への対応に在宅ケアチームは多くの努力を払った.今回はAさんの感染課題への取り組みを紹介し,在宅ケアにおける感染予防について考える.

連載 [ルポ]訪問看護はいま・3

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 3年程前のある雑誌の座談会で北里大学東病院の遠藤信子婦長にお会いして,私はびっくりした.実は私が9年前に学んだ神奈川県立看護教育大学校管理コースの実習で直接指導をしていただいた婦長さんであったからだ.その当時夜勤婦長の実習で,1000床以上ある北里大学病院の全病棟を回ったが,どの病棟でもレスピレーターの音が鳴り,看護婦はみな走り回っている程の忙しさであった.「すべての病床がICUみたいだ」というのが私の印象であった.

 6年前に北里大学東病院が開院した.大学病院は,入院需要が非常に多く動きが激しいということは理解していたが,その大学病院でも活発に訪問医療が実施されている北里大学東病院.その担当部署が「総合相談部」であり,その婦長の遠藤さんにお会いし,お話を伺った,大病院での訪問看護の1つの典型として取材をさせていただいた.今回は私の同僚の龍良子さんと同行取材した.

連載 思い出すけっち[あの人、あの時、あの言葉]・30

病院嫌い,看護婦嫌い 塩谷 スミ
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町の病院にて

 小学校5年生のある日.その日は日曜日だったが戦中のことで,出征兵士の留守宅に田植えの勤労奉仕に出ることになっていた.裏にコルクを貼った姉の草履を履き,雨上がりの裏庭に出たところ足元が狂い,アッと言う間もなく転倒.起き上がって気がついたことは前腕の変形と,医学的に言えば機能障害.

 一瞬訳が分からず荘然としていた.家人は留守,どうしようと心配するだけで何もできない.ともあれ勤労奉仕の欠席だけは届けねば,と学校へ行き小使いさん(当時の呼称)のおばさんに伝言をお願いして一息ついた.その後,町の病院を受診してギプスで固定,マッサージへと進んだが,ここで病院嫌いの芽が出るのである.

連載 白い恋人たちへの応援歌[私の病院探訪記]・6

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隔離治療のために閉じ込められて

 3階でエレベーターが開くと,かん高い子どもたちの声が耳に飛びこんできた.

 東京都立清瀬小児病院3-1病棟.血液疾患の子どもたちの入院治療の場である.

連載 タイ・シケウ村より[村人の健康づくりをめざして]・3

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SHAREズペシャルチームプロジェクトの開始

 県のプロジェクトは9月に会議が行なわれ,シケウ村では34人のヘルスボランティアが選ばれ,11月中旬より彼らの訓練が始まった.県のプロジェクトはトップ・ダウン方式だが,私は住民主体のスペシャルチームを作ることにした.2か月ほど観察した結果,SHAREが支援する下痢プロジェクトチームとして私は,村の端に位置する15軒ほどの部落を対象として選んだ.この部落は村で最も下痢が頻発する地区であり,下痢プロジェクトチームを組むのに,最適と思ったからである.

 15軒の人たちは,10〜20年ほど前,隣のウボン県やロイエット県から移ってきた.ほとんどの人が土地を持たず,他の家の手伝いをして日銭を稼いでいる.この地区は,“シケウ村のスラム”と呼ばれ,多くの家では貧しくて雨水をためる大きなカメはなく,小さなカメに井戸水を入れて生水のまま飲んでいる.栄養不良の子供たちも多い.

連載 はみだし留学生のSan Franciscoスクラップブック・2

博士課程を一本化?! 小泉 滋子
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 めでたく2回目を迎えることができました.

 まず本題に入る前に,この連載のタイトルの由来について話しておきたいと思います.実はこの件については,先日帰国した時に,編集室の方と緊迫した話し合いがダラダラと続けられたのですが,結論にはいたらず,アメリカでの宿題になってしまいました.

連載 でも、やっぱり歩きたい[直子の車椅子奮戦記]・6

はじめまして 滝野澤 直子
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いざ,出陣!

 5月31日.朝,7時.寝たきりの私は感涙にむせびながら,救急車に積み込まれた.

 その日は転院の日.頚椎5番の骨折で運び込まれた救急病院.自然に骨がくっつくのを待って2か月近くが過ぎたけど,結局手術をすることになり,星ケ丘厚生年金病院に行くのだった.

連載 のんちゃんのでこぼこMYロード・15

連載 プッツン看護婦物語・22

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教育的指導。

2年目の研修医が患者からソデの下をもらってるのを目にしてしまった私。

「5万円しか入っていませんから」という言葉まで聞いてしまった——。

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 宮原さんは,現在千葉大学看護学部に在学中の学生.

 大学では,看護を勉強するかたわら,ボート部に所属し,昨年行なわれたボートの全日本大学選手権(通称インカレ)ではシングルスカルとダブルスカルの2種目で準優勝し,国体の成年の部でも入賞するなど,その実績は輝かしいものがある.

われらカンゴ族

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トシさんは1915(大正4)年生まれで今年76歳.1933(昭和8)年,産婆の資格を取って以来59年間,助産婦として働き,現在も現役で活躍している.「子供は女の子ばかり6人.3番目の子が医者になっていますが女の子が6人もいるんですから,1人くらいは,私の後を継いで助産婦になってくれないかなあと思いましたよ.それをこの子に話したら,自分でも助産婦になりたいと考えていたそうで…….親は働くばかりで,子供に何も構ってやれなかった」

陽子さん「とにかく家にいなかったですからね.子供も大変でした.本当に辛いこともたくさんありましたけれども,助産婦として命の誕生にかかわることの素晴らしさを実感している今は,母がこの仕事を続けてきた気持ちがよくわかります」

基本情報

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看護学雑誌
56巻6号 (1992年6月)
電子版ISSN:1345-2746 印刷版ISSN:0386-9830 医学書院

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