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私は1979 年に医学部を卒業して内科の教室に入局しました.当時は入院患者の検査は主治医が手作業で行うことが多く,メランジュールで血算を行いストリッヒを引いて血液像を見て白血球分画をカウントしていました.ゴミか血小板かよくわからないものをカウントしてDIC の患者を診ていました.腎臓内科医になる前に受け持った急性腎不全の患者には毎回,腹膜穿刺してテンコフカテを腹腔内に挿入し,透析が終わると抜去して腹壁を閉じていました.回数が増えてくるとスタイレットの方向やテンコフカテを入れるときの傾け具合,力加減などを工夫していたものです.今から思えば原始的な医療をしていたものだと思いますが,そういう手作業と自分なりの工夫をすることに慣れていたことが後日役に立ったようです.最初にcontinuousarteriovenous hemofi ltration(CAVH)を始めた頃がそうでした.1984 年の第9 回国際腎臓学会でドイツ人の医師が面白い治療法に取り組んでいると教えてくれたのがCAVH でした.振り返ってみると1985 年から論文が多くなっていたようです.専用のデバイスもありませんでしたし,しばらく忘れていましたが1987 年に肺水腫の患者で最終手段としてCAVH をやってみようということになり,ASAHI PAN―50P で通常の血液透析回路の動静脈側を50cm で切断してエアーチャンバなしで接続し,大腿動静脈に各々エラスター針を留置してポンプなしで動静脈圧格差のみで体外循環させました.84 時間で濾過量は22 L,除水量は5.2 L でした.患者の状態は安定して大成功でした.以後,急性血液浄化にはまってICU に寝泊まりしていました.また,CAPD も現在の病院に赴任してきたときに肝硬変で大量腹水のある腎不全患者に試してみたところ腹水もコントロールでき非常に安定しました.以後,CAPD を継続し,最近はCKD 地域連携に取り組んでいます.
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