投稿論文 紹介
"華岡青洲の医術が普及しなかった"という謬見はいつ唱えられたか
松木 明知
1
1弘前大学 大学院医学研究科麻酔科学教室
キーワード:
全身麻酔
,
乳房腫瘍
,
技術革新の伝播
,
江戸期医学史
,
麻沸散
,
華岡青洲
Keyword:
Anesthesia, General
,
Diffusion of Innovation
,
Breast Neoplasms
pp.656-662
発行日 2020年6月10日
Published Date 2020/6/10
DOI https://doi.org/10.18916/J01397.2020278889
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1964年、小川鼎三は「医学の歴史」を出版し、その中で華岡青洲が秘密主義を採ったためにその医術が普及しなかったと主張した。小川が著名な解剖学者、医史学研究者であったため、この説は一般の人々の間にも普及した。4年後、緒方富雄も同主旨の論考を発表したので小川の謬説はさらに強固になった。小川は1963年に発表された青洲の教育法を閉鎖的とする宗田一に示唆を受けた。青洲に関する研究が進んでいなかったため、このような謬見が生まれた。
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