連載 がん ―家族の肖像 最終回
がん臨床の「現場」を切るということ ―俯瞰,臨床推論そして物語的理解
柳原 清子
Kiyoko YANAGIHARA
pp.775-779
発行日 2019年11月1日
Published Date 2019/11/1
DOI https://doi.org/10.15106/j_kango24_775
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに
最終となる今回は,〈がん臨床の「現場」を切る〉と題して,看護実践を「切る」すなわち臨床場面を詳細に分析し,そこでの看護の視座,使われている概念,行っている思考を解説したいと思う.
筆者は学部1年次の「看護学概論」で,家族という対象理解にサザエさん一家を使う.家族の構成図(ジェノグラム)の描き方を説明し,定位家族,生殖家族などの構造を話した後で,こんな問いを投げかけてみる.「マスオさんが,がん終末期になりました.家族メンバーはどう動きますか?」と.学生たちからは多岐にわたる発言が飛び出してくる.通常臨床でよく耳にするのは,「家族の情報(量)が少なくて家族が見えない」であるが,臨床をまったく知らない学生たちが,リアリティをもって終末期の家族メンバーに対応するサザエさん一家の状況を言い表してくるのは,どのような思考の結果なのだろうか?
おそらくそこにあるのは,‘俯瞰’というシステム思考の目線と‘文脈的(物語的)理解’,そして‘人は関係の中で生きている’という事実の中での立場と役割認識が通底しているのだろう.もちろん学生はこのことをまったく意識はしてはいないが.
本稿では前述の見方,思考に加え,この連載の事例紹介で使ってきた「渡辺式」家族アセスメント/支援モデルでの,‘リフレーミング(認知の変更)’や‘相互関係論:円環的思考’そして今話題の‘臨床推論’にも触れながら,家族看護に含まれる理論や概念の本質に迫ってみたい.
では早速に,サザエさん一家を題材にした授業風景から話を始めよう.
© Nankodo Co., Ltd., 2019