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戦後の「らい予防法」
太平洋戦争での敗戦を機に明治憲法が改正されて昭和憲法が制定された後の1953年(昭和28年)に,ハンセン病患者全員を療養所に収容して亡くなるまで永久に隔離することを目的とした「らい予防法」が成立した.その前身の「癩予防ニ関スル件」の法律第11号が成立したのは1907年(明治40年)のことで,その本来の趣旨は,困窮して浮浪する患者を国辱として取り締まり,収容して隔離することであった.しかし,次第に隔離政策は強化され,予防の観点から感染の恐れのある患者を全員隔離収容する趣旨で大改正された「癩予防法」が成立したのは1931年(昭和6年)である.そして,癩根絶のための「無癩県運動」を全国的に展開して1万人収容を目標にした増床を1940年(昭和15年)末には達成した.
戦時体制下でも「無癩県運動」は継続されたが,敗戦により日本の民主化を企図したGHQの当初の医療政策や,基本的人権が保障されるはずの憲法改正により,患者団体は「癩予防法」廃止を期待した.しかし,患者団体の活動は巧妙に懐柔され,反対に長島愛生園長の光田健輔ら療養所長たちの強固な全員隔離の主張に合わせて,厚生省は全患者収容の方針を掲げて療養所の増床を図った.1949〜1953年度(昭和24〜28年度)までに5,500床の増床が実現し,療養所の収容定員は1万3,500人となった.「らい予防法」が成立した1953年の調査によれば,推定患者数は約1万3,800人とされたので,この時点でほぼ全患者の収容が可能となった.さらに,ハンセン病患者の優生断種は,刑法の傷害罪に該当する可能性があったにもかかわらず,実施した医師らが処罰されることはなかったが,1948年(昭和23年)の「優生保護法」制定により,ハンセン病患者の断種を正当化,合法化することを許容した.
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