連載 続々・歴史と遊ぶ「ハンセン病と隔離政策」・第3回
ハンセン病隔離政策の最初の立法化
江藤 文夫
1
Fumio Eto
1
1国立障害者リハビリテーションセンター
pp.548-552
発行日 2020年6月15日
Published Date 2020/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001202121
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貧困,無宿対策の養育所から養育院へ
1901年(明治34年)9月,東京市の養育院(現,東京都健康長寿医療センター)にて「わが国における癩病離隔の最初の試み」が実施された.回春病室と名づけられたものがそれである.わが国の医療と福祉の収容施設としての養育院の歴史は,江戸時代1780年(安永9年)に深川に設けられた無宿養育所に遡ることができる1).
ヨーロッパでフランス革命(1789年)が生じたころ,1787年(天明7年)に江戸時代最大の打ちこわしが発生し,江戸だけではなく全国的に同時多発した.この「天明の打ちこわし」の主体は民衆世界の下層部分であることが幕府により認識され,飢饉や物価高騰時に再び食糧暴動が発生しないように,幕府は民衆世界全体へ救貧対策としての「手厚い」社会政策を,都市の社会的権力(名主や大商店主)と共同して実施しようとした.これが幕末維新期まで江戸の都市政策の根幹をなす江戸町会所というシステムで,有事に備えて積み立てた金や米が蓄えられ,勘定奉行と町奉行の監督下に置かれた.実質的には名主や地主の代表たちが積立金(七分積金)を管理し,幕末にかけて財政の逼迫した幕府であったが,積立金には一切手をつけなかった.その結果,明治維新時には莫大な積立金が新政府に移管され,さまざまな事業に流用支出されることとなった.
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