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編集後記
江藤 文夫
pp.384
発行日 2018年4月15日
Published Date 2018/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001201261
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1980年に英国のバーミンガムで遊んでいたころの6月,出入りしていた病院の近くのSt. Mary's Hospiceを訪ねた.その年,初めてホスピスの国際会議がロンドンで開催された.本誌で「ユーモアと笑い」を連載されている柏木哲夫先生が参加されていたと聞いたように記憶する.それから16年後,そこの掲示板で見たsanctity of life(SOL)の文字を確認したく,St. Mary's Hospiceを再訪したが,すでに空き家となっていた.幸いその掲示板は別の高齢者施設に移転掲示されていて,その句を読むことができた.空き家になっていたのはコミュニティでの支援が普及し,改修が予定されていたからである.
日本にはライフの文字はあってもlifeという言葉がないので国際標準での議論がやりにくい.さらに,日本では「メメント・モリ」を議論することが難しい.一昨年,がんで亡くなられた先輩(享年88歳)は,その2年前に愚痴めいた小生の問いに対して,柔和な表情で日本では「死について論じることはダブーだから」と話してくれた.がんの診断でも術後10年を経過して元気な方が稀でない時代で,本誌の特集の中身も充実している.しかし,死についてのサポートをとりあげることには抵抗が強そうに感じる.サポートといっても自殺ほう助ではない.とはいえ,本誌の特集でも「がんのピアサポート」が取り上げられたことでほっとした.OTの職能が分化する初期に,多くが看護職から転じた時代とは異なり,欧米でもOTによる「死と死別」とのかかわりは乏しいようである.
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