特集 経験の言語化の可能性—現象学的研究のインタビューを中心に考える
現象学的な研究における「意味」とは何か
家髙 洋
1,2
1東北医科薬科大学教養教育センター
2東北医科薬科大学教養教育センター哲学教室
pp.550-558
発行日 2024年12月15日
Published Date 2024/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681202264
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問題の所在:表現の成立とその意味
前掲論文(「現象学的な研究における経験の言語化について」)では,主に表現の成立について論じたが,現象学的研究では,意味が重視されることが多いだろう。例えば,van Manen(2016[2014],p.13)は,学生時代(1960年代)からの現象学との関わりを次のように述べている。
現象学は,哲学的なパースペクティヴの1つの名前に過ぎないものではなかった。それは,我々が生きているままの生(life)の意味を探求する源(source)でもあったし,そして,個人の様々な行動と決断との責任の本質(nature)でもあった。以前の私にこのように当てはまっていたことは,今日でも当てはまる。意味の探求や意味の謎(mystery)や意味の生成の仕方以上に意義深いことは何もないのである。
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