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承前
「ケアの意味を見つめる事例研究」の目的は,「共有・転用可能な,看護実践の質を向上させるための知の構築」であるが(山本,2018,p.411),取り上げられる事例は,個別の事例である。というのは,「複数事例ではなく個別の事例で,個別性の高い文脈の詳細を伝えて初めて,『ああなるほど,そういう看護の仕方もあるのか!』というような共鳴や触発を実践者に起こす場合も多いように思われた」からである(山本,2018,p.405)。
この場合,個別の一事例から得られた知見が,その事例だけでなく,他のさまざまな事例にどのようにあてはまるのかという問題が生じるであろう。これは,「転用可能性(transferability)」の問題である。個別事例を読んで読者が自ら自身の事例に適用(転用)することはしばしば生じるが,この適用(転用)は読者に任されている(Greene, 1990, pp.236-237)。それゆえに,事例研究者(事例執筆者)にとって「知識の転用(transfer)は,依然として理解されがたい」ということになるだろう(Stake, 2005, p.456)。
ところで,個別の一事例でも,多くの他人に役立つことが指摘されている(河合,2013[1976])。このような場合に,その個別事例は何らかの「普遍性」をもつのではないかと河合(2013[1976], p.210)は主張する。
このような「普遍性」と「転用可能性」の基礎的な関係について,マックス・ウェルトハイマーの遺著『生産的思考』(Wertheimer, 1945/矢田部訳, 1952)が考察している。ウェルトハイマーが扱っているのは,いわゆる「洞察(insight)」の問題系である。「ケアの意味を見つめる事例研究」も,「優れた看護実践の知の共有」を「目的」としている以上(齋藤,山本,家髙, 2018, p.461),何らかの「洞察」に関わっていると考えることができる。
『生産的思考』の第1章「平行四辺形の面積」は,長方形の面積の求め方を学んだ5歳半の子どもが,平行四辺形の面積を解く例を紹介している。最初この子どもは,左右の平行な斜辺が長方形と異なるために「わからない」と答え,悩んでいたが,しばらくして,左右の平行な斜辺がお互いに合致することに気づき,平行四辺形を垂直に切って長方形にしたのであった(Wertheimer, 1945, pp.45-49/矢田部訳,1952,pp.60-65)。
つまり,最初は思考を妨げていた項(左右の斜辺)が,あるとき,「それぞれ合致する辺」という「別の意味」をもつことで,平行四辺形全体が再組織化されたのである。このような「全体の有意味な構造」を生じさせる「構造的変化」が「洞察」である。この問題状況(平行四辺形の求積)の中で,状況のそれぞれの項がお互いに関連し合い,「全体の有意味な構造化」をこの子どもは経験したのであった。
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