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はじめに
事例研究法は,S.フロイト(1856-1939)にみられるように古くから数多くの理論構築に用いられてきた。その後,実証主義の台頭により,事例研究法は科学としての価値が疑問視され,隅に追いやられた感があった。しかし近年再び,人間を対象とする学問領域において,事例研究法に関する議論が活発に交わされるようになった(Anthony & Jack, 2009;岩壁,2008;岩立,1990;北澤,2008;鯨岡,1991;武藤,1999;西條,2009;下山,2001;Willig,2001/上淵,大家,小松共訳,2003)。この背景には,人間をとりまく現象が複雑化してきたことから,事例研究法の有用性や臨床の知(中村,1992;山本,鶴田編著,2001)の重要性が認識されはじめたことが大きいのではないかと考えられる。
事例研究論文は,人間を文脈から切り離さずに現実を捉えることに優れた研究であるという評価もあれば,恣意的な事例選択や解釈のため,エッセイと区別できないという評価もある。確かに,看護に限らず事例研究と分類された抄録や論文の中には,事実なのか解釈なのか区別のつかない記述がみられることも少なくない。事例研究法をめぐる議論は,事例研究と事例報告の相違,事例選択の方法,データ収集と解釈に関する恣意性問題,研究結果の一般化可能性の問題,倫理的問題にまで及んでいる。事例研究論文の質や評価は千差万別だが,その背景には実証主義や解釈主義など多様な認識論的立場の相違による評価基準の混迷があると思われる。
例えば,筆者の所属する日本慢性看護学会学術集会においても,実践家による事例報告の発表は多いものの,事例研究論文はきわめて少ない。慢性看護の実践知は,生活の文脈を捉えた全体的アプローチに多く埋め込まれており,これを形式知へと変換し体系化するには,事例研究法に対する共通認識の形成が必要である。
こうした現状を踏まえて,日本慢性看護学会研究交流推進委員会は,看護実践における事例研究を再考するべく,2009年より研究交流ワークショップを開催してきた。研究交流推進委員会は,本ワークショップ参加者とともに事例報告から事例研究論文を仕立て直すプロセスと方法について,4年にわたる議論を重ねてきた。本稿では,主に実践家による遡及的(retrospective)・省察的(reflective)な事例研究論文に対する批判がどのような認識論的課題をもつのかを整理し,看護実践における事例研究法の評価資料としたい。
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