- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに
第1回では「混合研究法コミュニティの多様性」をテーマに,フィールドを牽引する中心的研究者を紹介させていただいた。これにより,混合研究法コミュニティが現在もなお発展段階にある,多様性に充ちたものであることがおわかりいただけただろう。連載第2回にあたる本稿では,少々時間を遡り,この混合研究法コミュニティがどのように誕生し,どのような発展のプロセスをたどり現在に至ったのか,その歴史を振り返ってみたいと思う。
混合研究法とは何かを理解する上で,当該研究アプローチの誕生と発展の歴史を知ることは避けては通れないことである。それは,研究アプローチの評価をめぐる政治性を,歴史が可視化してくれるからである。かつて科学哲学者のトーマス・クーン(Kuhn, 1962/中山訳,1971)が,理論とは科学者共同体によって構築される社会的性質をもつものであることを主張した。そして,今日までの歴史において,量的研究と質的研究のそれぞれがもつ研究アプローチとしての正当性も,研究実践を取り巻く時代の中で社会的に決定づけられてきたといえる。知と権力の切り離し得ない関係は,フランスの哲学者ミシェル・フーコーが20世紀において我々に問い続けたテーマであった。これは,特定の研究アプローチが知識構築の方法として正当か否かの議論にも当てはまるものであろう。そして,この議論に対する答えは決して自明のものでも客観的に判断できるようなものでもなく,権威によって裏づけられた特定の共同体によって社会的に規定されてきたといえる。そして,その背後には,何を知識構築の正当なアプローチとしてみなすかという問いをめぐる政治的な攻防が常に存在する。
混合研究法は,このような政治的攻防の中で生まれた歴史の産物といえる。もちろん,実践の中で日々問題に直面し,その乗り越えに苦悶する看護研究者にとっては,混合研究法は単なる歴史の産物以上の価値をもつものでなくてはならない。我々の多くが混合研究法に期待する質的研究と量的研究の統合が生み出すシナジー効果こそが,当該研究アプローチがもつ真の価値であることはいうまでもない。混合研究法についてのこの最も重要な点を強調した上で,以下より本稿の本題に入りたいと思う。
Copyright © 2015, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.