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はじめに
このシリーズの最初に,「人が死にもっとも近づくのは,死の時を除けば出生の時である」と述べたごとく,周産期医療ほど「生と死をめぐる医療」と呼ぶに値するものはないであろう。さらにどの医療分野においても,一時的に治療が成功しても人は必ず最後は死を迎えなければならないことを考えれば,医学は死を学ばなくては成り立たない。しかしながら,これまで医学教育のなかで病気を治すことは学んでも,死について学ぶ機会は少なかった。
このことを,末期がんであった国立千葉病院精神神経科西川喜作医師は,「自分は医師ながら死についてほとんど学んだことがなかった。もし生きながらえることができたら死についての医学書を書きたい」と述べている。その彼が闘病記を残すことを支援した柳田邦男の『「死の医学」への序章』(新潮社,1990)には,西川医師のその言葉に触発されて上梓したエピソードが記されている。
死生学(Bio-Thanatology)とは,死とその対極にある生を対象とした学問であり,Thanatology(死学:死についての学問)のThanatos(ギリシャ神話の死の神)と,Biology(生物学)のBiosis(生命・生活力)を語源としている。これまでの医学は,生から,そしてその結果として死を考えることが主であったが,その逆に死から生(いのち・生命)とは何であろうか,を考える学問の重要性も認識されるようになってきた。
死に関する学問や教育は,これまで主に宗教的・哲学的・文学的観点から広くかつ深く論じられてきている。確かに人間を対象とする医療者にとって,そのような人文学的素養も必要であるが,それに加え科学者としての生物学的な面から生と死を考え,理解することも大切である。さらに「死とは何か」を正しく理解し考えるためには,「生とは何か」を知らなければならない。生命倫理の分野においても,数多くの歴史的論文や著書が死生学に触れているが,そのほとんどは形而上的な内容であることから,本稿では「生命とは何か・死とは何か・物質と生命体の違いは何か」を切り口に,生物の死が,その進化の過程で起こった遺伝子の交換に伴って必然的に発生したことを,系統発生と個体発生の観点から論ずる。
さらに死のもつ意味の究極は,「一粒の麦,地に落ちて」に表わされるごとく,死によって多くの豊かさをもたらすという,まさに生命倫理の根幹である「共に生きるあたたかい心」に通じるものである。このように生と死の医療の典型である周産期医療に携わる医療者において,死生学を学ぶことがいかに重要であるかが明らかであろう。
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