連載 周産期の生命倫理をめぐる旅 あたたかい心を求めて・9
胎児の成育限界をめぐる生命倫理(Ⅰ)
仁志田 博司
1
1東京女子医科大学
pp.762-766
発行日 2013年9月25日
Published Date 2013/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665102573
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はじめに
私が1968年に医師となった頃は,胎児は昏睡状態であると教えられた。
人の人たる所以が,デカルトの有名な命題「われ思う,故にわれあり」にあるならば,考える能力をもつ段階に達していない胎児は,人になる以前の存在と考えられるだろう。しかし近年の胎児医学の進歩によって,胎児は脳を含めた多くの機能の面でこれまで考えられていた以上に発達しており,出生後に現れるほとんどの機能が胎内ですでに備えられていることが明らかにされてきた。このことにより,「胎児は神が与えし命であり受胎の時から人である」といった観念的な考えとは別に,医学的にも「いつから胎児は人間とみなしうるレベルとなるか」が真摯に議論されるようになった。
その顕著な表れが“Fetus as a patient”(胎児という患者)なる国際学会であり,その発足はすでに20年前になる。
臨床の現場においては,「胎児はどの時点からわれわれ同様に,人間としての生きる権利や医療を受ける権利を有するか」ということを,医学的・社会的・法的さらに倫理的な観点から判断して,ある一線を人為的に引かなればならない。それが成育限界であり,本項以後に触れる出生前診断や,胎児治療をめぐる倫理的議論において極めて重要なキーワードとなる。
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