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はじめに
前々回,前回で「生と死」に関して論じたが,周産期医療の現場で,脳死の用語が用いられるとすれば,本シリーズ第7,8回(Vol.67 No.7,8)で述べた予後不良の事例において,可能な限りの医療を施すことがその児と家族の福祉に益するか倫理的判断を迫られるなかで,すでに脳死状態であるとして治療を中断する時であろう。それとは別に現在医療の世界のみならず,社会的にも大きな話題となっているのは,臓器移植を前提とした脳死に関して,である。今のところ,周産期・新生児がその対象に含まれていないが,近い将来この分野にも適応される可能性があることから,その意味するところと,内蔵する医学的・倫理的問題を知っておくことは大切であろう。
臓器移植は,人間の人間たる所以が脳機能であり,その機能が停止したと判断された段階で,生物学的存在の人としては生きているが,社会的存在である人間としては死亡した,という脳死の概念を,法的に定めることによって行なわれるようになった。その理由は,日本の法律のなかには「死」という言葉が法律条項に4553,法令に633あることから,従来の「死」の定義(呼吸・心拍停止と瞳孔の散大という死の三徴候)を変えなければ,まだ動いている心臓を取り出し,移植する医療は行なえないからである。すなわち,脳死は臓器移植を前提とした用語である。しかし,周産期・新生児医療の現場では,医学的に脳死判定ができないことから,そのような状態を表現する言葉は「脳死状態」が正しい。
わが国は,諸外国に比して脳死臓器移植,特に小児の臓器移植の事例が極端に少ないことが問題とされている。そこで,「なぜ少ないか」「少ないことがどんな問題を起こしているか」「少ないことが本当に遅れた医療体制なのか」を倫理的観点から論じてみる。
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