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安楽死論争のあとに—看護教育と死の問題
田河内 ツル子
1
1国立小児病院
pp.762-765
発行日 1976年12月25日
Published Date 1976/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907049
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はじめに
1975年の秋,米国のニュージャージー州で,半年以上もこん睡状態を続けているカレン・アン・クインランさんという若い女性の両親が,主治医にその安楽死を依頼して断られ,ついに裁判で決着をつけることになった,というニュースが我が国に伝わるや,国内においても安楽死に関する論争がにぎやかに展開され,新聞や雑誌などでもこの問題を大きく取り上げ,医療・法律・宗教その他各界の代表の意見や評論家の論評も多数紙面に掲載されることとなった.
特に,人間の死というものに直面する機会の多い医師や宗教家,裁判に関係する法律家などは,それぞれの立場や経験に立っての専門家としての所信を述べ,また一方,1度は死というものに遭遇しなければならず,肉親や友人の死にも会ったことのある一般市民の声なども,新聞の投書欄などで散見された.
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