交見室
脳死と安楽死,他
勝岡 洋治
1
1東海大学泌尿器科
pp.85-87
発行日 1996年1月20日
Published Date 1996/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413901672
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「自死した著者の次男は脳死状態に陥った11日間の脳死状態のなかで父親は,さまざまに息子と来し方に思いを馳せる。息子の肌は艶があり生き生きとしている。死には,自分がどのような死を迎えるかという一人称の死と,アフリカで百万人が餓死しても昨日と今日を変らず過ごすような三人称の死がある。医師にとって患者の死は,いかに熱心に治療しようと三人称の死だ。人生と生活を分かち合った肉親との死別は二人称(あなた)の死である。脳死判定が即,臓器移植であるならば,こうした二人称の死と受け入れる時間が抹殺されてしまう。」──読売新聞,読書欄より。
「自分が痛みを伴い,治る見込みがなく,死期が迫った状態では,"単なる延命治療をやめた方がいい""やめるべきだ"を合計すると75%。また,植物状態になったとき,"延命治療をやめるべきだ"が80%に及んでいる。20歳以上の男女5,000人についての調査である。日本人には,自分の死について,割り切った考えを持っているようにみえる(略)。お前はどうか,私は,多分,修羅場を演ずると思う。他人に迷惑をかける。旅の恥はかき捨てという。今度の旅は一番長い旅である。かき捨てる恥も大きい。最近,病名の告知がはやっているようだが,迷惑な話だ。
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