教育技術ゼミ
罰による教育(3)
沼野 一男
1
1東邦大学
pp.42-43
発行日 1969年9月1日
Published Date 1969/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906231
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罰による教育には一時的な効果はあるが,永続的な効果は期待できないということが前号の結論であった。このことはわれわれに罰による教育というものが必ずしも最良の教育方法ではないということを教えてくれる。しかし,罰による教育の効果は永続的ではないにしても,少なくとも一時的な効果があることは事実である。もし罰を用いないとすれば,教育の永続的な効果はもとより,一時的な効果も期待できないのではないか。読者のなかにはこう考える方がおられるかもしれない。たしかに「試験がなくても学生は勉強するだろうか」と自問した場合,確信を持ってイエスと答えることのできる教師は,それほど多くはないであろう。試験があるから勉強するという場合,学生の多くは良い成績をとりたいためにというよりは,悪い成績をとりたくないために勉強するというのが実状であろう。いうまでもないことだが悪い成績は落第か再試験という罰につながっているのである。
しかし,罰による教育が教育の方法として是認されるためには,その一時的効果や前々号で述べた即効性が用いやすさということだけでは十分ではない。罰による教育以外の方法ではどうか。永続的な効果を生むことはできないか,さらに罰による教育にはその一時的効果とは別のマイナスの効果がないかどうかを検討しておかなければならない。
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