教育技術ゼミ
罰による教育(2)
沼野 一男
1
1東邦大学
pp.58-59
発行日 1969年8月1日
Published Date 1969/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906218
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前号では,昔から現在に至るまで罰による教育が行なわれつづけてきた理由を考えた。そして,自然の模倣,即効性,罰を与えることの容易さ,教師の欲求不満の解消などをその理由としてあげることができた。この号と次の号では,罰による教育の第2の問題,つまり罰は教育において避け得ない必要悪であるのか,罰によらないでしかも効果的な教育というものはあり得ないのだろうかということを考えてみたい。
そのためにはまず,罰ということをもう少し明確に定義しておくことが必要であろう。オペラント条件づけの研究(本誌5月号および6月号を参照)から,プログラム学習という新しい教育方法を提唱したB. F. スキナー博士は,行動とその直後におこる事態との関係を次のように表示している。この表は,罰を強化と関連させており,その意味で罰を明確に定義するのに役立つ。
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