特集 教育技術を学ぶ
痛感する授業のむずかしさ—≪研究授業のねらいと必要性≫
渡部 晶
1
1東京学芸大学
pp.4-7
発行日 1964年5月1日
Published Date 1964/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905284
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授業のむずかしさ
今日の学校教育において,毎日の授業はその中心的役割をになっている。そのことは今日の学校から授業というものを,とりさってみるならば,それがどんなに重要なものであるかが明らかになるであろう。なるほど今日,教師の仕事は,たいへん複雑多忙であるが,しかもほとんどの教師が毎日の教室での授業に大半のエネルギーを投入し,これととり組んでいるのが現実である。したがって,この授業が能率的にまた効果的にすすめられるかいなかは,学校教師の重要な関心事の一つであることはいうまでもない。
ところで,授業は現実にはなかなかむずかしいものである。新任の若い教師も,この道何十年の老練な教師も,授業についてはそれぞれのなやみと問題をもっている。それは,授業というものが,その性格において,千変万化の姿をとりうるものであり,その質と量においても,ほとんど無限の深さと広がりをもちうるからであろう。どんなに教材研究を前もってやり,指導計画を綿密に立てて教室にのぞんでも,良心的な教師ならいつでも教室を出るときに一抹の不満の念につきまとわれるのがつねである。いや良心的であればあるほどこの感は深いものである。その意味で授業は芸術家の創作活動に通ずるものをもつといわれるのも,一面の真理をもつといえよう。
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