特集 教員として育つために
教員としての成長を支援するために必要な視点とシステム
秋田 喜代美
1
1立教大学文学部
pp.278-283
発行日 1998年4月25日
Published Date 1998/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663901811
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2つの教師文化を越えて
個人主義と協働主義
この冬に,ジュディス・リトルというアメリカの教師教育研究者と話をする機会があった.アメリカの小学校では,各々の教師は何年生担当として,3年生なら3年生を何年も,その同一学年担当のスペシャリストとして授業を受け持っていく.教師の役割は教科の授業を担当するのみで,生徒指導,学級経営という役割を担っておらず,また教科書や教材も教師の判断で選択し,職員室がない.個々の教師は,他の教師と話をしたり,学び合う機会が少なく,弧立化が生じているという.時間になったら教室へ来て授業をし,時間が終われば家に帰ることの繰り返しから,人によっては経験を積むにつれマンネリ化し,仕事への意味を見失うという問題が起きているそうだ.そこでは,仕事の大変さに直面しバーンアウトする(燃え尽きる)のは,新任期の教師の方だという.そして,こうした問題の中,教師たち自らが,互いを支え合う同僚性をどのように形成するかという様々な研究プロジェクトを,学校を拠点に行なっているという話を聞いた.
冒頭からアメリカの小学校の話で,看護教育には関係ないことだと思われるかもしれない.しかし実は,日本の場合を考えてみても,これと類似の現象と,まったく対峙的な現象の両方が,幼稚園から高等教育までの教育機関の如何を問わず,学校という場で生じている.問題はより複雑である.
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