特集 大学教育の目指すものPart2
[対談]同じ大学人としての認識―看護教員と事務の連携強化のために
士産田 照夫
1
,
中島 紀恵子
2
1北海道医療大学事務局
2北海道医療大学看護福祉学部
pp.847-853
発行日 1994年11月25日
Published Date 1994/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900958
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大学ができるまで
土産田 本大学は,1974(昭和49)年に北海道の医療事情を改善するための医学部・歯学部・薬学部の医科系総合大学設置を標榜してスタートしております.そこで薬学部と歯学部は作ったものの,医学部はできなかった.そうなると,ご存じのように1984(昭和59)年の歯科医師20%削減すべしという政策により,歯学部は以後不況学部に入り,薬学部も定員抑制傾向で,このままでは経営的にも生き残れないのでは,と考え始めたわけです.
そこで,1987(昭和62)年新学部設置計画委員会を組織し,保健衛生系の学部を作ろうという答申を出しましたが,準備不足で一時保留になっていました.その後,大学大衆化と進学人口激減が子測される中で,臨時教育審議会の委員であった堂垣内理事長は,1990(平成2)年,大学改革と新学部設置などの将来を検討する21委員会を発足させ,新学部設置の再検討が始まったのですが,背景には教員の多少の抵抗があったと思います.医学部を作りたかったのだから,何かそういった学部にならないか,と.
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