特集 看護過程再再考
看護過程の記録に頼らない,看護の実践的知識を深める教育
糸賀 暢子
1
1あじさい看護福祉専門学校看護学科
pp.430-435
発行日 2016年6月25日
Published Date 2016/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663200513
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はじめに
「あじさい看護福祉専門学校(以下,本校)では,看護過程をやっていないのですか?」とよく質問される。その質問の背景にあるのは「看護過程の形式的記録用紙を用いない実習で,看護過程が学べるのか?」という疑問であろう。昨年の本誌「看護過程再考」1)の特集に引き続き,本稿で与えられたテーマは,“看護過程の展開を記録用紙に書く”実習ではなく,臨床状況に内包される看護の過程のなかで”本当に学んでほしい看護”が学べる教育について論じることである。
そこで,「看護過程」に関する論議については昨年の特集で語りつくされたことを前提に,本校の臨地実習の一端を紹介しつつ,「思考過程」と「実践的知識」の関係を整理したい。そのうえで,昨年の特集で課題として残された,「臨地での個々の学習体験が異なるなかで教育の質の保証をどのようにするのか」「妥当性のある評価をどのように行うのか」について,リフレクティブジャーナルを用いた実習事例をもとに解説する。
本稿は,看護の過程を否定するものではない。形式的記録と思考スキルのみにこだわる「看護過程」の教育方法と評価が,本来のダイナミックな看護の過程と看護の学びを妨げていることへの私的な懸念と,「再考」の次に見えてくる「臨床判断モデル」の活用に関する個人的考察と受け止めていただき,諸先生方ご自身が「本当に学んで欲しいことは何か?」を問いながら,本物の「看護が学べる」教育の扉を開いていただければ幸いである。
特に,個人的に憂慮している,「臨床判断モデル」がこれまでの「看護過程の展開」を記録で訓練しようとしたような,同じ轍を踏んではならないというこという思いを含めて私論を述べたい。
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