特集 保健活動と公共性—公的責任の現代性
都市集住の「公共性」の分岐点
森反 章夫
1
1東京経済大学経営学部
pp.270-274
発行日 1997年4月10日
Published Date 1997/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662902854
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日常生活と「公共財」の自明化
日常生活はさまざまな財・サービスを消費して営まれている。市場機構をとおして購人される財・サービスもあれば,「公的」メカニズムに媒介され,享受される財・サービスもある。電気・ガス・上水道・下水道,さらに通信・交通などは日常生活に「不可欠」なものとして機能しており,「生活関連社会資本」とも,その基盤的な施設に注目して「インフラ・ストラクチャー」とも呼ばれる公共財である。日常生活の消費の営みに織りこまれた公共財・サービスは,それらが「公共的なもの」として供給されることを格別意識させない。市場が媒介する商品は,選択の契機があるが,公共財・サービスは,そうした商品群の日常の消費の可能な(社会的)条件として組み入れられているからだ。公共財・サービスは人々の日常生活の営みを個別化し,私的に自律したものにしている。商品に「価格」があり,購入すればその財・サービスが自らの所有に属するように,公共財・サービスも「公共料金」(使用料とも課徴金ともいわれる!)を支払えば,自ら享受できる,というわけである。かくて,ある財・サービスが「公共的なもの」として享受可能になる全過程は,とりたてて認識されることもない一種不可避的な成りゆきとして受容される。
こうして,ひとは“生活水準”として抽象化され,規格化される「豊かな,そして便利な生活」をきずいている。
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