文学
インテリと文学—山本周五郎の文学
平山 城児
pp.76-77
発行日 1965年2月1日
Published Date 1965/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913512
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こういう人を知っている。その人のいうことは,なんでも一応もっともである。あまり立派すぎて,なんとも文句のつけようがない。たとえば音楽の話になると,彼はバッハとモーツアルトしか聞かない,ジャズやポピュラー・ソングの話をすると,苦い顔をする。つぎに絵の話になる。マチスがすばらしいといい,ほかはすべて否定する。文学に話がうつると,トルストイ,トルストイで文学は終わりました,ジョイスやプルーストはもうだめですといい,日本の作家では鴎外ですね,という。そして,時たますばらしい言葉をいうかと思うと,それは,たいていは西欧の哲学者やエッセイストの格言などの引用なのである。
世の中には,まったくさまざまな人間がいるもので,いちがいに,Aを是としBを非とするということは決して容易なことではない。多くの人は,他人を理解しようと思うことは少なくて,自分を他人がいかに理解してくれないかという不満ばかりを訴えているようである。もうすこし,だれもが,相手を理解しようとこころがけるようにすれば,世の中は,もっと平和になるのではないかと,ときどき考えたりする。それはともかくとして,私自身は,物事にまんべんなく興味を抱くヤジ馬根性の持主なので,さきのような人に逢うと,尊敬の念を抱く前に,軽くからかってみたい気がして,ウズウズすることがある。
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