文学
文学と実生活の食いちがい—高見順の文学
平山 城児
pp.76-77
発行日 1965年3月1日
Published Date 1965/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913540
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私は,自分が文学青年であったせいか(いや,いまでもそうかも知れないが)「所謂」文学青年というタイプを,もっとも好まない。ことに,戦後の一時期には非常に流行した,太宰治の亜流のような連中を好きではなかった。当時,まさに「文学青年」そのものであった私も,そうした人たちとのつきあいがなかったわけではないけれど,彼らの考え方や行動に,どうしてもついて行けない限界を感じていた。彼らは,「文学」という美名にかくれた,単なるドラ息子か不良青年でしかないのではあるまいかと,当時から思っていたがいまでもそう思える。彼らは,何かというと酒をのみ,女を買い,既成の文壇をののしり,自分は天才の如く豪語し,金がなくなると親からまきあげたり,家のものを売りとばしたりした。
そのこと自体は,いまになって考えてみれば,ほほえましい,若気のいたりだといってしまえば,それまでだが,その連中が現在どうしているかといえば,たいていはなんらかの安定した職につき,女房も子供もある,まあいってみれば平凡な亭主になっているのである。内心は,これでもいまにみろと文学者を夢みている奴もいないではないが,作家になったものはひとりもいない。
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