文学
人間不在ということ—石川達三の文学
平山 城児
pp.76-77
発行日 1965年1月1日
Published Date 1965/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913486
- 有料閲覧
- 文献概要
いまでは大分下火になってきたようだが,去年のある時期は,忍者ブームだった。書店の統計によれば,ある地方では,しばらくベスト・セラーのトップに立っていたこともある。そのなかでも,もっとも人気のあった,山田風太郎の「くノー忍法帖」を読み,大いに驚いてしまった。物語の骨格となっているのは,徳川家康の娘で豊臣秀頼の妻となり大阪城落城寸前に救い出された,例の千姫にまつわる話であるが,その話を借りたのは,物語に真実味を与える手段にすぎず,この物語を読む読者にとっては,史実がどうあろうと問題ではなく,おそらく,作者自身も,史実になど,初めからこだわってはいないらしい。そこにくりひろげられる物語は,いずれも,およそ人間業とは思えない忍法を使って敵味方の男女が戦いあう話に終始し作者の努力も読者の興味も,つぎにはどんな新手の忍法がとびだすかという一事にかかっている。要するに趣好の面白さだけが,この物語を支えているのである。
世の中が平和で,社会全体が安定してしまうと,よほどの変わり者でなければ,突飛な人生は送れない。日々の人生の変化のなさあじきなさからくる不満や欝屈を,こうした奇想天外な忍法小説を読むことによって,一時のうさ晴らしとしている人たちも,さぞ多いことだろうと思う。この小説の存在価値はその点にしかない。
Copyright © 1965, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.