Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
三島由紀夫の『金閣寺』—いじめ文学としての側面
高橋 正雄
1
1筑波大学
pp.430
発行日 2022年4月10日
Published Date 2022/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552202483
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昭和31年に三島由紀夫が発表した『金閣寺』(新潮社)についてはさまざまな 議論が展開されていて,特に主人公の溝口が金閣寺に放火した理由については,彼の吃音や統合失調症な病などとの関係が検討されているが,こうした本人側の要因に加えて,もう一つ考えなければならないのは,彼の吃音に対する周囲の対応である.溝口は,幼い頃からその吃音を嘲笑されて生きてきた人間であり,後年の彼の金閣寺への放火にも,こうした周囲の心ない対応への復讐という意味合いが含まれていたのではないかと思われる.
「体も弱く,駈足をしても鉄棒をやっても人に負ける上に,生来の吃りが,ますます私を引込思案にした」という溝口に対して,彼がお寺の子であることを知っていた悪童たちは,「吃りの坊主が吃りながらお経を読む真似をしてからかった」.そんな日々を送る中で,溝口は「日頃私をさげすむ教師や学友を,片っぱしから処刑する空想をたのしむ」というのだから,教師も生徒と一緒になって溝口をからかっていた様子がうかがえるが,そんな5月のある日,海軍機関学校に通う先輩が中学を訪れて,4〜5人の後輩を相手に機関学校での生活を誇らしげに語っていた.
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