Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
三島由紀夫の自己特別視―『午後の曳航』と『天人五衰』
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.600
発行日 1998年6月10日
Published Date 1998/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552108690
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三島由紀夫の『金閣寺』には,吃音という障害ゆえに自分を特別視していた主人公の青年の,自己特別視からの脱却と固着というアンビヴァレントな心理が描かれているが,実はこれと同じような特徴は,三島の他の作品にも見ることができる.
例えば,『午後の曳航』(昭和37年)は,「自分が天才であること」を確信している少年登が,一方で,「俺には何か,特別の運命がそなわっている筈だ.きらきらした,別誂えの,そこらの並の男には決して許されないような運命が」と思っている船員に,憧れるという話である.しかも,自ら「選ばれた者」であることを自負していた少年は,この二等航海士が,長年の航海の後に,「この世には彼のための特別誂えの栄光などの存在しない」ことを悟って,次第に陸の生活に馴染んでいくことに幻滅して,彼を殺害することを決意する.すなわち『午後の曳航』は,自らを特別の存在と信じている少年が,自分の憧れを託した大人の凡俗化を許すことができずに,特殊な存在のままでいることを強いた物語と見ることもできるのである.
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