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「11,25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(監督/若松孝二)は,タイトルのなかに「若者たち」の文言があることによって,ストレートに1960年代後半から1970年代初頭の空気を掬い上げた.その当時,政治的立ち位置において若松と趣を異にする「若者たち」3部作が脚光を浴び,ピンク映画界に身を置く若松はと言えば「狂走情死考」を発表.両作とも「新宿騒乱」(68・10・21)の現場に足を踏み入れていたが,三島由紀夫を描く本作もあの場へ戻らねばならなかった.10・8羽田闘争(67),10・21国際反戦デー(68・69),佐藤訪米阻止闘争(69)などが,三島(井浦新)とその周辺の若者たちの闘争心に火をつけたからだ.加えて,17歳山口二矢による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺と山口の自死(60),金嬉老事件(68),赤軍派による「よど号ハイジャック事件」(70)が三島をゆさぶる.
やがて既成概念の破壊へと向かう左翼に対して,三島らは伝統的価値の擁護を対置する.劇中の三島の言によれば,日本人にとって「死は文化」なのであり,「死にも美しさを求める」のだ.陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を襲うにしても実行部隊はわずか5人.使用する武器は日本刀のみ.とすれば,三島らの目標は戦闘に勝つことでもクーデターを成功させることでもなく,日本刀,切腹,介錯という文化的行為を自衛隊員や大衆に見せつけることにある.任侠映画「昭和残侠伝」シリーズに惚れ込んでいた三島が,その道行きで歌うのは当然ながら「唐獅子牡丹」.この場面はこうでなくてはならないというイメージを忠実に完璧に演じる.人々から孤立し,嘲笑されることを予想してもなお自己陶酔感が勝るのだ.とりわけ,森田必勝(満島真之介)に突き動かされ,死へのアクセルが全開状態となる.ここでは,三島,森田のセクシュアリティの特異性が見え隠れする.軍人若夫婦の切腹,自害を描いた三島の『憂国』にしても,死を前にしていたからこそ性の極致に達しえたのであり,市ヶ谷の総監室における三島,森田の切腹もまた,暗黙のうちに成立していた二人の性の物語の完結として解釈できる.
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