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Ⅰ.はじめに
最近,わが国のリハビリテーション界では失行症・失認症をはじめとする高次の脳機能の障害に対する関心がしだいにたかまってきている.これには後に述べるような種々の理由があり,いわばリハビリテーションの発展の歴史の中で当然,起こるべくして起こってきた現象である.
しかし一方,失行症・失認症といった高次の脳機能の障害は問題自体が複雑・高度であるばかりでなく,学問領域としても従来は臨床神経学と精神医学の境界領域であるとされて専門の研究者も比較的少なく,また入門書・研究書の数もきわめて限られていた.特にこの問題をリハビリテーションの実際と関連づけて論じたもの,すなわちこのような症状をもった患者の治療とリハビリテーションという角度から問題をとりあげたものは世界的にもきわめて少なく,わが国のものでは皆無だったといっても過言ではない.そのため,リハビリテーションに携わる医師・理学療法士・作業療法士その他の人々*1)が失行症・失認症について少しつっこんだ勉強をしようとする場合,適切な手引書がないことが以前から痛感されていた.
もとより知識とは書物から学ぶものではなく,実践の中で得られるものである.特に失行症・失.認症といった,従来ややもすればアカデミックな興味の対象としてのみ取り上げられ,2,3の例外を除いては治療やリハビリテーションの対象とは考えられなかった(そもそも治療は不可能だときめてかかる態度がむしろ一般的であった)ものについては,現在もっとも重要なのは,たとえ手探りにせよ,体当たり的にせよ,ひとりひとりの失行症・失認症の患者に治療者の立場から真剣に取り組み,工夫を凝らし,治療とリハビリテーションの経験をつみ重ねていくことである.
このような治療経験の集積とその理論化がなされてはじめて,‘失行症・失認症学’の,アカデミズムから真の臨床科学への脱皮がなされ,その本態の認識によりいっそう肉薄することが可能となる.人類は労働を通じて自然を変革し,それを通じて自然のより深い認識へと到達してきたといわれるが,この場合もそれと全く同様に,従来のアカデミズムの立場――静的な記載と分類,いわば観照と‘解釈’の立場ではときあかすことのできなかった失行症・失認症の真の姿が,リハビリテーションの立場――動的な治療的働きかけ,いわば実践と‘変革’の立場でこそ真に解明することができると考えるのは決して根拠のないことではない*2).
しかしその場合でも,従来の研究の成果を学ばなくてよいというものではない.アカデミックといい,‘静的’といっても,そこには永年にわたって,すぐれた知性がつみ上げてきた貴重な事実と理論の蓄積があるのであり,それの批判的な継承のうえに立つのでなければ,単なる実践重視の立場は一歩を誤てばひとりよがりの経験主義あるいは卑俗な実用主義に堕してしまうおそれなしとしないのである.
今回,‘失行・失認シリーズ’の一部として,‘失行症・失認症をどう理解するか’というテーマをとりあげたのは,このような立場から,これまでの失行症・失認症に関する研究をできるかぎり整理し,‘手引書’的な役にたてると同時に,‘批判的継承’に少しでも近づきたいと願ってのことである.もとより真の批判も,真の継承もただ一人の力でできることではない.むしろこれは今後この方向に多くの人の関心と努力が向けられるための呼び水にすぎないものである.
なお,失行症・失認症の研究は臨床医学の中で臨床神経学と精神医学との境界領域であるというだけでなく,臨床医学と基礎医学(特に脳生理学),医学と心理学(それも臨床心理学だけでなく,知覚・学習・発達などの‘基礎的’心理学)それぞれの‘境界領域’であるともいえるくらいに広い範囲にわたる背景をもっている.そのためこの論文では必要に応じそのような領域にまで不馴れな論を進めざるを得ないことになろう.
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