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Ⅰ.はじめに
失語症,失行症,失認症などの高次脳機能の障害の中で,失語症だけはかなり早い時期からリハビリテーションの重要な対象と認められ,言語病理学及び治療学(Speech pathology and therapy)という新しい専門科学の重要な対象の1つとなってきた(というよりもむしろ今や失語症を中軸としてこの科学が発展しつつあるといっても過言ではない)ことはよく知られている.それにくらべて,失行症,失認症はリハビリテーションにおけるその重要性に気付かれることも遅く,ひとつの専門職がそれを中軸として発展するといった現象もまだみられていないこともあって,失語症にくらベリハビリテーション医学の中では全体として研究の遅れた分野であることは否めない.しかし最近はわが国のリハビリテーション界でのこの問題についての関心は次第にたかまってきており,研究発表1~13),紹介等14~16)も少なくなく,それにくわえて,各種の研修会のテーマにもなり,本年のリハビリテーション医学会総会のセミナーにもこれがとりあげられた.このような関心は狭い意味の失行症,失認症に対するものにとどまらず,小児における知覚=運動機構の発達とその障害(“perceptual-motor dysfunction”)に対する関心とも結びついており17~19),この点は後にのべる欧米のリハビリテーション界の動向とも類似している.
このような動きは決して偶然のものではなく,第二次大戦後の疾病構造の変化とそれがリハビリテーション医学に与えたインパクトと無縁ではない.それはいうまでもなく,寿命の延長と感染性疾患の減少(殊に先進国におけるポリオの実際上の根絶)にともなってリハビリテーションの対象疾患の中で成人では脳卒中,小児では脳性麻痺という脳障害の比重が従来とは比較にならないほどに増大したことである.このような対象の変化がリハビリテーション医学自体の方法論の発展をひきおこしたこと,そしてそれがまず中枢性麻痺の末梢性麻痺と基本的に異なることの認識とその法則性に立脚した回復促進手技の発見,体系化(いわゆる「ファシリテーション・テクニック」としての)にみちびいた20)こと,そして次に運動障害以外の各種の中枢性の症状,特に高次脳機能の障害が時には運動障害にもましてリハビリテーション上の大きな問題となりうることの認識が,失行症,失認症自体の治療とリハビリテーションの方法論の探究へと向かわせていること等については既に他に詳しく述べた14)ので繰り返さないが,このような背景がこの問題を単なる一時の流行でない,リハビリテーション医学の今後の発展にとって,本質的な重要さをもつものにしていることは強調されてよいであろう.
ただいうまでもなく,失行症,失認症の問題は失語症のそれとともに医学,心理学の中でももっとも複雑なものの1つであり,長い研究の歴史をもち,現在も精神医学,臨床神経学,神経心理学,神経生理学等々の広い分野で日進月歩を続けている領域であり,その概要を把握して日常診療の中に生かすだけでも決して容易ではない.更にこれらの高次脳機能の障害は従来は不治又は難治と考えられ,自然回復の存在は否定されないまでも,訓練によって回復を促進させることが可能かどうかについては懐疑的ないし否定的な見解が支配的であったことが忘れられてはならない.現にリハビリテーションにおいて広く行われている言語治療に対してさえ伝統的な精神医学の立場に立つ医学者の一部からはその治療効果を疑う声が聞かれるのが現実であるから,まして歴史の浅い失行症,失認症の「治療」について語るためには,それなりの慎重な検討と十分なデータが要求され,それでもなお疑いの目で見られることがほとんど避けがたいように思われる.それを単に「治療についての悲観主義(“therapeutic nihilism”)」の生き残りだと批判してみても問題は前進せず,かえって混乱をまねくだけであろう.事実に則しての解決以外に途はないのである.
本論文ではそのような現在の問題状況に立って,まずリハビリテーションにおける失行症,失認症問題の位置づけを考えるところから始めたい.
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