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智徳体の備えるもの
リハビリテーションという言葉を始めて聞いたのは何時どこであったのかはっきりした記憶がないのは残念である.唯その言葉への親しみは高校時代の背景が米国人の経営するミッション・スクールであったことから何となく起源を発して私のうちに根づいたものと思える.その学校は自給自足をたてまえとした米国の,ある大学をモデルとして日本にも開かれたもので学生は智徳体の三つを柱に教育されることがその精神とされていた.すなわち統合された望ましい人の姿の形成である.農場をもち学校を建て長期療養患者を主とした病院を建て学生も教員も農場,果樹園,畜産場,病院等で働らき自活の道を得る.キリスト教の精神に基づく教育をうけて心身共に疲れ,あるいは病む人々の霊肉の医療にたづさわる働らきをする.そして卒業の暁には最低限自力で自活できる人そして周囲の人々に霊に肉に奉仕のできる人を社会へ送り出すという高邁な思想のものであった.私達は第1回生であった為,敷地の開墾から学生生活が始まった.しのを刈り松の木をばっさいし,抜根をし,土地をブルトーザーで切り乍ら掘り返し,しのの根を出して焼いた.そして整地して始めて種のまける土地にした.学校の建物はみんなで建てた.製材から配電,配管も教えられ乍ら建物の一部になっていった.女性は特に炊事,パン焼,洗濯,裁縫等を実習として生活の中から学び生活の要にあてた.戦後の厳しい経済の中でこの運営は残念乍ら継続できなかったが,あの当時植えたリンゴ,桃,ぶどうの樹は今では立派な収穫を群馬県の山すそにもたらしている.米国ではこの方針で経営する学校が今でもジョージア州その他に存続して学生と教師で建てた病院が実に素晴らしい働らきをおさめている.彼等は力強く生きる生活への技術と魂への糧そして身体への医療行為のすべを実に無駄なく調和された教育形態の中でつちかっている.之等の病院は静かな緑したたる山村に建てられているが20世紀の病む人々は遠路をいとわず訪れてくる.
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