とびら
リハビリテーション教育雑感
佐藤 剛
pp.382-383
発行日 1974年6月15日
Published Date 1974/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518100845
- 有料閲覧
- 文献概要
最近徐々にではあるが日本のリハビリテーション教育を(再)考慮する気運が芽生えてきた様な気がする.必ずしも私がその機会に毎日接しているからという訳でもないし,またすぐ新しい変化が起るという事でもないのだが,やはり日本のOT及びPT教育が正式に開始されて10年目の必然的過程であろう.われわれの多くがすでに理解している様に,PT及びOT教育は,肝心の燃料を輸入するという,いわゆるショック状態で開始された.当然その影響は2~3年で消えるものではない.本来日本に存在せぬ資源であればまだしも輸入しか手は無いであろうが,リハビリテーションが石油物質とは異り,また単なる技術とは異る事を十分理解していなかった事もまた事実ではなかろうか.しかし日本の医学及び他の技術分野も過去そうであったように,初期の辛らつな諸問題を承知で始めるのもまた日本人のやり方であるように思えるが,もっと深く追及して見る必要がなかろうか.すなわち本来のリハビリテーション,PT及びOTの底に流れる理念が日本という歴史,風土をもった日本人に適合するか等である.
リハビリテーションはダブリンの国際学会の決定によると,医学的,社会的,教育的,そして職業的と大別し総括的にアプローチしようとしている.一口にリハビリテーションと言っても,1人間をとりまく環境とその人間(身体と心)との関係における一生の役割課題が提出されなければならない.そこでは患者1人1人の育った環境,風土及び生活背景を考慮する事無しのリハビリテーションは無効となる可能性が大である.
Copyright © 1974, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.