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はじめに
車椅子が下肢障害者のあしとなったのは,比較的最近のことである.10年程前には,多くの病院や施設で,ストレッチャーと並ぶ代表的な患者運搬車として用いられていたに過ぎない.その中で,先進的といわれる極く一部の施設では,機能的に使われていたようである.だが,その車椅子といえども,重い車体重量に加えて不釣合な埓寸が多く,お世辞にも軽快とはいえなかった.
多くの脊損者にとって,車椅子は生涯の伴侶である.それは片マヒや骨折の初期に一時的に使われるものと全く異った,重要な意味を持つことはいうまでもない.従って,車椅子の発達程度は,医学的リハビリテーションのそれと,歩を同じくしているとも考えられる.
東京オリンピックの直後に,日本でパラリンピックが開かれたことを覚えている方も多いと思う.そのバスケットボールの試合に,当院入院中の脊損チームが参加した.試合のひと月ほど前にE & J社の車椅子を10台輸入して出場した.同社のスタンダードタイプはシートの幅がバカに広く,全く日本人の体型に合わないものであったが,それでも国産品より大変使い易かったらしい(これはAdultを注文したためで,日本人にはJuniorで良いという知識がなかったという笑えない事実である).結果は大差の敗戦であったが,セラピストも,医師も,車椅子製作者も,そして何より患者自身が,そこから多くのものを学びとった.その時以来,車椅子は飛躍的に改良され,操車技術も急速に広まっていった.喜ばしいことに,現在の国産優良品は外国製にひけをとらないのではないだろうか.
しかしながら我国の社会情勢は,車椅子常用者にとって必ずしも明るいものではない.公共施設でも,車椅子が利用出来る場所は少ない.学校の門は閉ざされ,福祉事務所や警察署でさえ利用し難い.東京や仙台で歩道の縁石がとり除かれ,国鉄の駅舎にエレベーターが取り付けられる計画を聞く時,社会の関心を窺うことは出来るが,「部分」が改造されても行動は出来ない.障害者の生きる権利を,恩恵としてではなく当然に認める社会思想が生れた時,車椅子の前途に曙光が射すのであろう.
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