連載 人間はいつから病気になったのか—こころとからだの思想史[9]
未生の生
橋本 一径
1
1早稲田大学文学学術院
pp.366-369
発行日 2018年7月15日
Published Date 2018/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1430200311
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臓器移植とカニバリズム
脳死患者が痛みを感じている可能性は否定できないから、臓器摘出には慎重になるべきである。前回はベルギーの哲学者ジャン=ノエル・ミサのこのような議論を参照しながら、その議論と、「ヴィーガン」と呼ばれる完全菜食主義者たちの主張との近似性を指摘した。痛みを感じる者の臓器を摘出してはいけないという主張と、痛みを感じる動物を食べてはいけないとする主張には、似たところがありはしないだろうか。他人の体の一部を自らのうちに取り込む臓器移植は、ある意味で他人の臓器を「食べる」ことである。臓器移植とは一種のカニバリズムなのだとするのは言い過ぎであろうか。
前回のこの欄で、このような臓器移植を一種の人肉食とみなす議論が、これまで皆無であったかのように述べたのは、いささか筆を走らせ過ぎたようだ。確かに数は少ないものの、臓器移植をめぐる議論においてカニバリズムが引き合いに出されたことは、これまでにもなかったわけではないからである。例えばアメリカの大統領生命倫理評議会(Presdent's Council on Bioethics)議長を務めた医師・哲学者で、著書『飢えたる魂』(法政大学出版局、2002年)では食をめぐる哲学を展開させてもいるレオン・R・カスは、臓器移植が、「無菌の手術室や驚嘆すべきテクノロジーといった装いをひとたび取り除いてしまえば」、「単なる上品な形態のカニバリズム(simply a noble form of cannibalism)」にすぎないのだと述べる1。
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