連載 フクシマ日記—A diary from Fukushima[9]
2018年6月某日「マラソン」
佐治 重衡
1
1福島県立医科大学腫瘍内科学講座
pp.365
発行日 2018年7月15日
Published Date 2018/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1430200310
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今から約10年前の2007年、石原慎太郎氏が東京都知事であった頃に開催が実現した東京マラソン。これを皮切りに市民マラソンの文化が日本にも根付いてきたと言われています。それまでただぼーっとマラソン中継をテレビで見ていた頃は、まさか42.195kmを私の周りにいる“普通の人”が走るなんて想像もできなかったですし、更にまさか自分がそうなるとは思ってもいませんでした。
始めるきっかけは人それぞれですが、マラソンの趣味としての利点は、比較的簡単に始められる、コストは下げようと思えばシューズ代だけ、場所もほとんど選ばず、更によいことには、周囲からうらやましがられたりねたまれることもありません。例えば、毎週末にひとりでゴルフに出掛けていると、家族や周囲からの批判も高まるかと思いますが、なぜかマラソンは“かわいそうな人”と思われるだけで済みます。しかも、その“かわいそうな人”が走っていると、見ず知らずの方から、「がんばれー」と声が掛かったり、食べ物や飲み物を恵んでくださることもあるという不思議さ。一体、このスポーツの本質はなんでしょうか?
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