連載 医学のエコーグラフィー・9
「睡眠薬」
橋本 一径
pp.72-73
発行日 2010年1月10日
Published Date 2010/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686101663
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2005年11月,フランスで世界初の顔面移植手術が成功したというニュースが伝えられたとき,筆者を驚かせたのは,患者の女性が,このような手術を受けなければならなくなった,そもそもの原因のほうだった。この女性は,強力な睡眠薬を服用して熟睡していたところ,顎から鼻にかけての顔面を,飼い犬に食いちぎられたのである。「犬は私を起こそうとしたのかもしれません」。手術からおよそ2年を経た2007年,順調に回復した女性は,『ルモンド』紙によるインタヴューにおいて,事故の状況をこのように語っている。「いずれにしても,私は何も感じませんでした」1)。顔面移植手術という,現代の最先端の医療の背景には,睡眠薬という,これまた現代の医学が生み落した薬品が存在していたことになる。
もちろん睡眠薬の登場以前にも,アルコールやアヘンに催眠作用のあることは,古くから知られていた。とりわけエジプトから古代ギリシアに伝えられたとされるアヘンについては,多くの医学書にその効用が説かれており,たとえば古代ローマの医師ディオスコリデスの『薬物誌』にも,不眠症の治療として,ケシの種子を細かく砕いた粉末を「水に混ぜて額やこめかみに塗る」との処方が紹介されている2)。西洋においては19世紀に至るまで,不眠症の治療薬としてアヘンの右に出るものはなかった。アヘンの原料となるケシは安眠の象徴に他ならず,今日においてもアヘンケシは,ラテン語の学名(Papaver somniferum)やフランス語(pavot somnifère)などにおいて,「眠りをもたらすもの」という意味の込められた名で呼ばれている(図1)。
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