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赤ん坊が生まれたら,定められた期間内(日本においては14日以内)に,市区町村の長に出生の届を出さなければならない。この際に一緒に提出することを義務づけられているのが,医師,ないしは助産師などによって作成された,出生確認の証明書である。大半の赤ん坊が病院で生まれる今日においては,この出生証明書の作成は,単なる事務的な手続きのひとつでしかない。しかし病院での出産が主流となるのは,多くの国でせいぜいここ数十年の傾向であるにすぎない(日本において施設分娩の割合が5割を超えるのは1960年代である)1)とすれば,それ以前には,赤ん坊がこの世に誕生したという物理的な事実の証明は,いかにしてなされていたのか。たとえば生まれてもいない子どもの出生届が受理されてしまうというような事態を,役所はいかにして防いでいたのだろうか。
そもそも赤ん坊の出生が役所によって掌握され,記録されるようになったのは,いつに始まることなのだろうか。これは戸籍の歴史に関係する事柄だが,近代的な国民国家の戸籍の起源をなすのは,フランスにおいて革命期に制定された,いくつかの法令であるといわれている。これらの法令の規定によれば,赤ん坊の出生を確認するのは,役人自身の仕事であった。とはいえ役人が新生児の生まれた家にわざわざ赴いて,いちいち出生を確認していたわけではない。だとすれば赤ん坊のほうが,役人のもとに連れて来られるより他ないだろう。実際,1792年9月20日に立法議会で採択された法令の第3編6条では,以下のような規定がなされていた。「子どもは,役場,もしくは自治体の会議が行なわれる公共の場に連れて来られること。公吏に子どもが披露されること」。この規定は1804年制定のナポレオン民法典にもそのまま取り込まれ,赤子を役場で披露するという「お披露目」の制度が,正式に確立することになる。
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