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連載 神経学を作った100冊(50)
ウイルヒョウ『生理学的および病理学を基礎とする細胞病理学』(1858)
One Hundred Books which Built up Neurology (50)-Rudolf Ludwig Carl Virchow "Die Cellularpathologie in ihrer Begrundung auf physiologische und pathologische Gewebelehre" (1858)
作田 学
1
Manabu Sakuta
1
1日本赤十字社医療センター神経内科
1Department of Neurology,Japanese Red Cross Medical Center
pp.184-185
発行日 2011年2月1日
Published Date 2011/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416100845
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ウイルヒョウ(Rudolf Ludwig Carl Virchow;1821-1902)はベルリンの北東200kmにあるシフェルバインに町の収入官吏や農業を営む家に生まれた。このシフェルバインは当時プロイセン領であったが,第2次大戦後ポーランド領のシフィドピン市になっている。バルト海にほど近い,どこにでもある田舎町であった。
1839年にギムナジウムを出たウイルヒョウはベルリンに来て医学を学び始めた。大学ではミュラー(Johannes Müller;1801-1858)などに学んだが,大学卒業後はシャリテ(慈善病院=ベルリン大学附属病院)のインターンに任命され,剖検医のフロリープ(Robert Friedrich Froriep;1804-1861)の指導を受けた。1846年にフロリープの後任となったが,この席を争ったのがレマーク(Robert Remak;1815-1865)であった。1847年には現在もなおVirchow's Archivesとして知られる『病理解剖学・生理学・臨床医学アルキーフ(Archiv für pathologische Anatomie und Physiologie und für klinische Medicin)』を発刊した。1849年にはヴュルツブルグ大学の病理学教授に任命された。1856年にウイルヒョウはベルリン大学の一般病理学・病理解剖学の教授に迎えられ,以後は壮大な病理学の発展と国内外の人材の育成にあたり,1902年に亡くなった。
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