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連載 神経学を作った100冊(46)
マジャンディ『生理学基礎提要』(1816-1817)
One Hundred Books which Built up Neurology (46)-Franoçis Magendie: Précis élémentaire de Physiologie (1816-1817)
作田 学
1
Manabu Sakuta
1
1日本赤十字社医療センター神経内科
1Department of Neurology,Japanese Red Cross Medical Center
pp.1098-1099
発行日 2010年10月1日
Published Date 2010/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416100772
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フランソワ・マジャンディ(Franoçis Magendie;1783-1855)(Fig.1)は1783年10月6日にボルドーで外科を開業する医師の家に生まれた.父は熱心な共和主義者であり,1791年マジャンディが8歳のときにパリへ移り住んだ.時代はまさに1789年から始まる革命の真っ最中であり,1789年にはバスティーユ襲撃が起こり人権宣言が採択され,1792年には共和制宣言が行われた.この間マジャンディの父は革命の幹部になり,そしてロベスピエールの失脚とともに投獄される.やがて出獄し,のちにパリ10区の区長とパリの病院の理事になっている.
1794年に健康学校がパリを含む3カ所に設けられ,フランスの医学教育制度の再構築が行われた.父の知り合いであったボワイエ(Baron Alexis de Boyer;1757-1833)は健康学校の准教授であり,Hôtel-Dieu,Chariteで第2外科医の称号を有していたので,彼について医学を学ぶことになった.間もなくマジャンディは頭角を現し,若くして教育をする立場になり,経済的にも父から独立した.1803年に19歳の若さで医師国家試験に合格してアンテルヌ(インターン)となる資格を得,彼の父が区長をしているサンルイ病院のアンテルヌになり,1808年に最終的に学位の試験に合格した1).この間に最も多くの影響を受けたのはマリー・フランソワ・ザビエル・ビシャー(Marie Franoçis Xavier Bichat;1771-1802)からであったが,1815年までは雌伏の年が続いた.
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