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あとがき
椿 忠雄
pp.104
発行日 1966年1月1日
Published Date 1966/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406201983
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学者の学問的評価は,よい論文を書いたか否かによるべきであろう。もちろんそのレベルは高いほどよく,数は多いほどよいが,当然量よりも質をもって評価さるべきである。ここで「よい論文を書く」ということは二つの意味がある。一つは,研究成績は口頭発表のみにとどめず論文にする義務があるということであり,他の一つは,どんなに論文を書いてもよい論文でなければ無意味(ときには有害でさえある)であるということである。学会に発表されたまま論文にならぬ研究は数多い。私自身もそのような研究をかかえているので大きなことはいえないが,それではいけないと思う。暇がなくて書けぬというのは言いわけである。学会で一応の結論をつけたらば,これを論文に書いた後に次の研究に専心するのが理想ではなかろうか。
我国では学会には必ず演題をださなければならないというような雰囲気があるが,演題をだすからには立派なものでなければならない。学会に演題をだしさえすればよいというのではなく,逆につまらぬ演題をだせば,その人の学問的評価は落ちるはずである。シンポジウム,特別講演,宿題報告でも,これは同じはずである。だから,学会に発表する場合や,シンポジウムの演者などを引き受ける場合はよほど慎重にしなければならないし,そうすれば学会の発表数は減少するであろうが質は向上し,また論文を書く時間が増すことも相まつて,よい論文が増加するようになる。これが学問の発展に有益であることは論をまたない。
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