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あとがき
椿 忠雄
pp.576
発行日 1966年5月1日
Published Date 1966/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406202057
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- 文献概要
私は本誌のほかに,数種の雑誌の編集に関係したことがあるので,特に本誌に限って感ずることではないのであるが,投稿論文のなかに,ときおり論文の形式さえ整わないもの,だれが見ても気づかれるような幼稚な誤まりが各所に見出されるものがある。おそらくは論文を初めて書かれた方かもしれないと思うのであるが,しかし論文の共著者には教室主任の名が入っていることもあり,そうでなくても論文の末尾に教室主任へ校閲と指導に対する謝辞が入っているのが普通である。このような論文に接すると,果して教室主任はほんとうに校閲されたのであろうか,また校閲されたとすればどのような校閲をされたのだろうかという難問を生ずる。最近のように学問が細分化され専門化されてくると,一人の教室主任が教室全体の仕事に目が届かないということがあれば,これも問題であるが,ここで私のいっていることは,そのような専門的な問題ではなく,もっとprimitiveな事実である。専門的な事実では,著者の考え方の相違もあるし,また人間のやる仕事であるからすべて論文の結論は真理でなければならないと要求することは無理であるが,primitiveなことだけは,教室主任としてぜひ責任をもって頂きたいと思う。
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