特集 アディクション支援のフロントライン
専門職支援者はいかにあるべきか―孤立無援だったACE(逆境的小児期体験)サバイバーのオピニオン
風間 暁
1
1特定非営利活動法人ASK(アルコール薬物関連問題全国市民協会)
pp.21-26
発行日 2025年6月5日
Published Date 2025/6/5
DOI https://doi.org/10.69291/pt51070021
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Ⅰ はじめに
私が生き抜いてきた逆境的小児期体験は,今でも私を寝かさない。睡眠なんて,安全な場所にいる人にだけ許された特権だ。敵から観測されている戦地のド真ん中で眠る戦士がいたとしたら,それは自殺行為に他ならない。戦士はいついかなるときも,たとえ行軍しながらでも,脳の部位ごとに切り離し,断続的かつ擬似的に眠る特殊技能を,戦いながら身につけていく。それから,戦場に転がっている誰かの遺体から武装を剥ぎ取ったり,まだ使える弾を拝借したりして,いつどうなるかもわからない戦況でも,臨機応変に生き抜いていけるだけの装備を整える。そして今日もまた,爆撃の轟音や閃光に脳天を貫かれながら,いつまで経っても迎えにこない朝を恨みつつ,生命の危機とともに過ごす。それが,戦士としての,「普通の生活」である。
逆境的小児期体験を生き延びたサバイバーは,まさしく戦士そのものだ。無理やり放り込まれたそれぞれの理不尽な戦場で,工夫しながら作り上げたオリジナルの「鎧」を身に纏って戦ってきた。知識であったり,嗜癖であったり,適応であったり,人によってさまざまな形でつくられてきた鎧は,孤立無援の死戦をくぐり抜け続ける過程で,どんどんボロボロになっていく。自分の傷口から溢れて止まらない血液,あるいは他者からの返り血などの蓄積で次第に錆びついていき,腕を動かすだけでギシギシと音を立てる。装備のメンテナンスもろくにできない戦場で,錆びついて脱ぐこともできない鎧で身動きが取れなくなっても,なおも生き延びてきたのが,私たちサバイバーなのである。

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