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浅香 本日は,地震学研究の第一人者でいらっしゃる尾池和夫先生をお招きし,「地震学の過去・現在・未来」をテーマにお話を伺いたいと思います。はじめに先生の経歴についてお伺いしますが,ご出身は東京なのですね。尾池 1940年,東京都の生まれです。戦時中,祖父の出身地である高知県香北町(現・香美町)に引っ越して,高知で育ちました。香北町は山奥の町で,小学校は1学年10人足らずで複式授業を行う状況だったのですが,祖父が「田舎に置いとくのもなんやから」と言ってくれて,小学2年で高知市に引っ越しています。高知市内の小学校に通う中,野口英世の伝記映画をみて感激し,「医者になろう」と思ったことを鮮明に記憶しています。浅香 先生は医者志望だったのですか。尾池 小学生のときはですね。それが高学年になるとハンダづけに興味をもって,ラジオを自作して聴くようになりました。中学生になると電子回路を必死に勉強して,駐留軍の放出品を集めてポケットサイズのラジオも設計しました。浅香 トランジスタラジオもない時代ですよね。真空管を入手するのも大変だったでしょう。尾池 そう,それで電池で動くようにしましたけどね。さらに無線から音響に興味が移って,高校時代にはステレオ装置を自作してレコードを聴いていました。大学は電子工学を専攻するつもりでしたが,京都大学入学後に湯川秀樹先生の講義を聴いて,こんどは核融合物理を学びたいと思うようになりました。浅香 湯川博士の講義はいかがでしたか。尾池 面白くなかったですね。階段教室で大勢の学生が耳を傾けている中,ボソボソ話して聞こえないのですよ。しかも突然,黒板の前で1時間ぐらい考えこんで,最後に「終わり」という。そんな講義でした。浅香 湯川秀樹博士といえば,戦後どん底の時代にノーベル賞を受賞して,日本人に希望を与えてくれた存在でした。尾池 皆,憧れて聴講するわけです。でも,とにかく訳がわからない。「浦島太郎は現実に起こり得るか」のようなことをいうのです。いきなり歳を取ることを時空間の問題として,式を書きながら説明してくれるのですが,その途中でピタリと動きを止めて黙考することはしょっちゅうでした。
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