投稿論文 紹介
華岡青洲はなぜ「萬病一毒之説」を書いたのか
松木 明知
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1弘前大学 大学院医学研究科麻酔科学教室
キーワード:
医学史(1601-現在)
,
気血水
,
華岡青洲
,
吉益東洞
,
吉益南涯
Keyword:
History, Modern 1601-
pp.1132-1138
発行日 2021年10月10日
Published Date 2021/10/10
DOI https://doi.org/10.18916/J01397.2022003885
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1992年に華岡青洲直系の子孫宅で発見された青洲自筆の「萬病一毒之説」は吉益東洞の萬病一毒説について記した史料である。青洲と東洞の関係が不詳であったため、その史的意義が研究されずに今日に至った。青洲の署名と"書"の字体から考えて1790年代に書かれたと推定される。青洲は"一毒"の"一"を"一個の一"ではなく"総一(一切)の一"と解釈すべきとして萬病一毒説を擁護した。萬病一毒説を補強・強化したのが東洞の長子南涯の気血水説である。青洲はその信奉者で日常の診療でそれを実践した。
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