第18回日本腎不全看護学会・学術集会記録 【特別講演】
線路は続くかどこまでも
山﨑 親雄
1
1衆済会増子クリニック昴
pp.11-16
発行日 2016年4月15日
Published Date 2016/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.7003200072
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Ⅰ.はじめに
わが国へ昭和30年代後半に導入された透析治療によって,それまで確実に死亡していた尿毒症患者が劇的に救命され,社会復帰まで可能になったことに,腎臓臨床医自身も驚いた.しかし少しずつ機器が普及し,対象患者が増えるにつれ,費用の問題が治療の障壁となっていった.1967(昭和42)年から人工腎臓治療に保険が適用され,1972(昭和47)年,障害者医療の対象となり,1973(昭和48)年には高額療養費制度が導入された.この時点で透析患者の自己負担は最大1万円となり,経済的負担がほぼなくなったことから,飛躍的に患者数が増加し,これに伴い,次々と民間透析施設が参入することになった.その後の患者数の増加は日本透析医学会の統計調査が示すとおりであり,また,この増加する患者数を背景に,透析医療は質的にも急激な発展を遂げ,世界一の治療成績を維持することができている.
しかし増え続けた患者数も,間もなくピークを迎える.
今回は,急速に発展した透析医療の現状と,ダウンサイジングが必要なこれからの透析医療のあり方について,個人的な見解をもとに予測や提言をしてみる.
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