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はじめに
現代社会において,人は誰もが病気の慢性状況に直面する可能性がある.人はこのような状況を予防したいと望み,また,予防が困難であれば状況を管理しようとする.このためには,生涯にわたる毎日の活動が必要であり,その多くは家庭などの日々の生活の場で行われる.また,疾患(disease)と病い(illness)は同じような意味をもつ用語してとらえられてきたが,これらの用語は区別して考えることができる.「疾患」は,人体の構造と機能の変化のように,生物学的モデルを基盤とした視点に立つ事柄とかかわり,「病い」は,症状や苦しみを伴う人間の経験であり,個人と家族が病気をどのように感じているか,それとともにどのように生きているか,そしてどのように受け止められているかなどとかかわる.
腎機能障害を含む長軸的に続いていくこのような慢性状況は,クロニシティ(慢性性)としてとらえられ,生きるための十分な支援が必要であるとされている.そこには,生活者としての視点が重要な光を放ち,慢性疾患(chronic disease)から慢性の病い〔クロニックイルネス(chronic illness)〕ととらえ直すと,疾患の経過に焦点をおくというより,病気とともにある個人および家族の生活と経験に焦点をおくことが可能となる13).クロニックイルネスと表現するとき,ケアの焦点は治癒(cure)にあるのではなく,“病気とともに生きること(living with illness)”にある.それは病気を管理し,病気とともに「生きる方策を発見する」ことでもある.この発見を支えるためには,その個人と家族がどこから来て,どこへ行こうとしているのかを常に心にとめておかなくてはならないとされる.
1992年に「病みの軌跡」を提唱したストラウスとコービンは,クロニックイルネスにおいて,病気とともにあるその人の人生あるいは生活を1つのつながった軌跡としてとらえることの重要性を指摘した.これは,未来に視点をもちながら,病気による自分への影響と折り合いをつけ,編みなおすことを包摂したものであった.そこで求められる専門職者の姿勢は,支持的支援(supportive assistance)であるとされており,このような支援を続けようとするとき,私たち看護職者はその人の内面に1人の人間として近づくことが求められ,そこでは人の語りをどのように聴くかという問いに直面させられる.
フランクは次のように指摘する.
「語ることは容易ではない,聴くこともまた同様である.重い病いを患う人々は身体ばかりではなく,その声においてもまた傷ついている…」5)
私たちにとって,自らの経験を他者に語り,他者の語りを聴くことは,古代より日々の生活のなかでごく普通に,かつ豊かに行われてきたであろうし,それは日々の生活を生き続けるために重要な意味をもっていたはずである.私たち人間は本来的に“語る種”なのであり1,8),自らの経験を他者に伝えることによって自分を知り,他者はその語りを聴くことで生きることの意味を知り,生きるための知恵に気づかされる.ところが現代社会において,私たちは気づかぬうちに,いつの日からか自らの経験を語ることに躊躇するようになり,また,語りを聴くことにも躊躇するようになっている.
本稿では,クロニックイルネスの考え方と病みの軌跡をふまえ,人の語りを聴くためにはどのような姿勢が可能であるのかを検討し,人が人を支援することについて皆さんと考えてみたいと思う.おそらく,そこから人と病いの新たなかかわりを見出す探究の可能性が生まれるであろう.
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