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はじめに
過去1世紀の間,脊椎動物の運動を制御する基本的な神経回路については多くの知見が得られてきた.そして特に脊髄の反射回路を構成するニューロン群については膨大な数の研究が行われ,その結果多くの知見がもたらされてきた.この脊髄反射回路の研究には,運動ニューロンの細胞内記録法や末梢神経への電気刺激によるニューロンの同定方法などを組み合わせた極めてエレガントな方法論が用いられ,それによってⅠa抑制性ニューロン,Ⅰb抑制性ニューロン,反回抑制性ニューロンなどが同定され,現在では教科書な知識として確立している.では,動物が日常行っている随意運動の制御において,このように多様な入出力様式を有する脊髄ニューロンは,どのような機能を持っているのであろうか? 驚くべきことに,1世紀の長い研究の歴史を経てもこの単純な問題設定に対する確実な回答は存在しない.例えば,上記のⅠa抑制性ニューロンは,相反神経支配のパターンを示すことから,「拮抗筋活動を抑制することによる円滑な関節運動の遂行」に重要と考えられているが,覚醒動物が関節運動を行う際にこのⅠa抑制性ニューロンが活動しているのかどうかさえ分かっていない.なぜ,1世紀以上の長い脊髄神経回路研究の歴史を経ても,随意運動の制御における脊髄反射回路の役割を明らかにすることができないのか.それは,先行研究のほとんどが,麻酔非動化動物または除脳動物を用いた急性実験標本によって得られた知見だからである.例えば麻酔下の動物によって明らかにされた神経回路が覚醒動物においてどのような働きをするのか,全く不明である.特に回路を構成する抑制性ニューロンの働きは動物の覚醒レベルに依存することが知られており,覚醒時の抑制性ニューロンの活動によって当該神経回路の機能は大きく変化する.また大脳皮質においては随意運動の文脈や内容に応じて活動パターンを変化させるニューロンが数多く発見されており,それらの一部が随意運動の計画に関わっていることが示唆されてきたが,同様な研究は脊髄においては全く行われていないため,このような随意運動の計画や準備に脊髄の神経回路がどのような役割を持つのか,全く明らかになっていない.
このような背景から我々はサル頸髄に存在する介在ニューロンを同定し,随意運動中のそれらの活動を記録する方法を開発して研究を行っている.本講演では特に四肢の運動機能を対象としたリハビリテーション(以下,リハ)にとって特に重要だと考えられる感覚ゲーティングの神経機構,特にシナプス前抑制の神経機構に関する実験結果を紹介し,考察を加えた.
まず,覚醒行動下のサルの脊髄において,シナプス前抑制のレベル変化を直接評価する方法(興奮性試験)を開発した.サルの末梢神経を安定的に記録・刺激することが可能な神経カフ電極を作成し,皮膚神経(橈骨神経浅枝,superficial radial nerve:SR)に埋入した.また同じサルに上記の脊椎チェインバーも装着した.実験ではSRの脊髄内末端存在部位を検索した.つまり,SRを電気刺激し,単シナプス性の応答が認められる脊髄ニューロンを同定した.その同定にはすでに確立している脊髄背側電位の出現時間からの潜時を用いる方法によって行った.次に記録用微小電極をそのまま動かすことなく,それを用いて同定された脊髄内部位に微小電流刺激を行った.もし,同部位にSRの神経末端が存在するなら,SRの遠位に装着してあるカフ電極に逆行性電位が記録されるはずであった.実験当初は予想に反してノイズ以外何も記録できなかったが,数百回以上の刺激効果を加算平均すると微弱な(10μV程度)電位が記録され,その後,1)刺激からその電位の出現時間が,皮膚神経の伝導スピードから考えて適当である,2)微弱電位の出現時間(潜時)がそれを遠位で記録すればするほど遅くなること,を確認し(未発表)それらが逆行性電位であることを確かめた.このように,覚醒サルの皮膚神経においても脊髄微小刺激による逆行性電位が記録できることが明らかになった.つまり,覚醒サルにおいてもウォールらが開発した逆行性試験を用いてシナプス前抑制を評価する技術的な準備が完了した.
次に,サルに手首を用いた随意運動を行わせ,運動の各位相で皮膚神経へのシナプス前抑制のサイズがどのように変化するか調べた.実験は2頭のサルを対象に行った.行動訓練および記録実験の間,サルをモンキーチェアに座らせ,左手はイスに軽く固定した.また右腕も同様に肘部にて固定し,手首および指は伸展位にて,マニピュランダム(タスク制御装置)に固定した.サルには遅延時間つき手首屈曲伸展運動の訓練を施し,実験に十分な試行回数を行えるようにさせた後,(1)頭部の動きを制限するための固定具,(2)前腕筋群の活動を記録するための筋電図電極,(3)橈骨神経浅枝(SR)へのカフ電極,および(4)脊髄からニューロン活動を記録するためのチェインバー,をそれぞれ外科的手術によって装着した.サルに運動課題を遂行させている間にマニピュレータによってガラス被覆を施したタングステン電極を脊髄内に挿入し,SR刺激に単潜時(単シナプス性)に応じるニューロンを検索した.実験中SRは連続的(3Hz)に刺激し,刺激強度はそれぞれのニューロンの反応が認められる強度(閾値)程度とした.SR刺激に対して単潜時に応答する脊髄ニューロンが記録された場合,それらの応答性が運動課題の各位相でどのように異なるか統計的に検証した.その結果,屈曲・伸展タスクともに安静時には大きな単シナプス性ピークが認められるが,動的運動時にはそれらのピークが消失していた.静的運動時および受動的運動時には再び単シナプス性ピークが認められた.従って,単シナプス性ピークの大きさは動的運動時に選択的に抑制されたと考えられる.次に,この選択的抑制機構を調べる解析を行った.つまり脊髄ニューロンのSR刺激に対する応答性の経時的変化を筋電図出現時間を基準に比較した.すると,筋電図出現より400ms以前から統計的に有意な抑制が始まっていることが明らかになった.この結果から,少なくともSR刺激に対する応答性の低下の一部は上位中枢からの運動指令に依存していると結論づけることが可能であった.では,上位中枢からの運動指令はどのような神経メカニズムを用いてSR神経からの入力を抑制しているのであろうか.我々はこれまで述べてきたシナプス前抑制が用いられていると推測した.そして単シナプス性の反応が認められた脊髄内部位に対して上述の興奮性試験を行った.その結果,逆行性電位の振幅は動的運動時において最も大きかった.このことは,動的運動時に最も大きなシナプス前抑制がSR求心神経に引き起こされている証拠であり,動的な運動時には皮膚神経から脊髄への入力がシナプス前抑制によって抑制され,そのシナプス前抑制の一部は上位中枢からの下降性指令によって,引き起こされていると考えられた(図).
これら一連の実験によって,シナプス前抑制の随意運動の制御における働きの一端が明らかになったといってもよいであろう.つまり運動に付随して起こる中枢神経系への末梢感覚入力(reafference)がシナプス前抑制という既知の神経機構によって修飾されうることが分かった.運動系リハには痙縮などreafferenceがトリガーとなって引き起こされる病態が多く含まれる.従って,それぞれの病態における感覚ゲーティング機構の異常を上記のサルを対象とした実験を応用して調べることにより,より有効なリハ技術が確立されると期待される.
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