- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに─座談会のねらい
中島 今日のテーマはそれほど目新しいということでもないようにも思えます。「患者中心」や「患者の主体性」を言わない看護の成書はないと言ってもいいのですから。にもかかわらず,老いて衰えつつ病み,そして死ぬという人の生と死に至る摂理に沿って再考するとき,看護の対象として「居る」人ではなく,個人として生きる「当事者」への想像力を促せる研究のあり方について考えないと,これからの高齢社会における新しいローカルコミュニティケアサービスに,自立的に対応できなくなるのではないか。
私たちは,「看護をすることは“いいこと”だ」と,看護すること自体に善を見いだすことばかり一生懸命考えてきたんですが,「しないでもいいことを選択するための研究が,より必要なのかもしれない」と,認知症の人とつきあいながら,私自身は思いはじめています。
2012年6月に厚生労働省が発表した「今後の認知症施策の方向性について」(厚生労働省,2012)の報告書のアジェンダとしているのは,行動─心理症状(BPSD)という危機発生から介入しはじめる「ケアの流れ」を変えて,住み慣れた地域に初期集中支援チームを創始し,適正な薬物使用や入退院支援・地域連携などを通して認知症の人と家族が地域で生活することを支えることにあります。
このように「ケアの流れ」を変えるプロセスに,認知症の当事者研究の方法の探究が不可欠です。
本日は,日頃から認知症の「当事者」の生き方とその支援に強い関心をもっておられる多様な職種の皆さんに集まっていただき,いま,「当事者」を問うことの意味について話し合いたいと思います。では,司会は永田久美子さんに委ねます。
永田(司会) 4人の方に集まっていただきました。櫻井さんは,看護職として活躍されています。看護ありきではなく,地元の認知症の人がよりよく暮らせることにこだわって,実践しながら現場の人たちと記録と研究を積み上げられています。木之下さんは医師,稲垣さんは行政事務職,川村さんはドキュメンタリー番組の制作者とそれぞれ分野は異なりなますが,認知症の人の当事者性を重視した実践と思索を重ねてこられている方々です。おそらく『看護研究』誌始まって以来のユニークなメンバーだと思います。
今日は特に,当事者研究で何を問うていくのかという,研究的な言葉で言うとリサーチクエスチョンについて話し合いたいと思います。というのも,本当に知りたいことや追究すべきことは何かがブラックボックスのまま研究が進められたり,実践がなされたりするところがあると思うのです。研究にしても実践にしても,その入口が,方法やまとめ方や考察,そのいかし方とか全部に影響を及ぼす。その最も肝心な,何を追究していきたいのかという点に焦点を当てて進めたいと思います。
Copyright © 2013, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.